VRChatを始めて感じたこと

はじめに

前々からVRChatを遊んでいて感じたことを文章化しようと思っていたのだが、明日がVRChatを始めてちょうど2ヶ月になるということで、いい機会だと思い、筆を執ってみることにした。

予め断っておくが、私は人に読ませる文章を書くのは得意ではないし、書かれている内容も陳腐なものになっているだろう。しかし、それでも読んでくださる方がいれば、私にとってこれほど嬉しいことはない。

今回書いた文章は、あくまで2022年7月5日時点での私の考えであり、今後考えが変わることは大いにあり得るだろう。また、説明が不十分な点については、補足を加えていこうとは思う。

また、文章中はなるべく日常的に使用される言葉で語ることを心がけた。それは、あくまで今回の文章は自分自身が思ったことを率直に表現することを目的としているからである。

自己紹介

まずは、簡単に私という人間について自己紹介をしておこう。

私は、daredemonaiというユーザー名でVRChatを遊んでいる。名前の由来は、本アカウントとは区別して作成したTwitterのアカウント名「誰でもない誰か」にある。これは、名前や所属から切り離されているという意味で「誰でもない」が、それでも一つの自我を持った「誰か」であるという意味を込めて付けた名前だ。ただ、ぶっちゃけ適当である。

私は現在、倫理学を研究している大学院生である。ただ、研究室では教員や院生の先輩数人としか話さず、会話の内容も研究に関することがほとんどという状況だった。そこで、何気ない話をする相手や気の合う友達を探す目的で、VRChatを始めてみた。

5月6日の19時に初めてVRChatの世界に飛び込んで以来、2ヶ月で実に300人近くのフレンドができ、交流の輪は驚くほど広がった。一度会っただけでそれっきりという人も多いが、一緒に遊んでくれる方やイベントで会えば声をかけてくださる方もそれなりにいて、非常に恵まれているなと感じている。

ちなみに、お金がないので、Quest2単機で遊んでいる。

美少女のアバターを身に纏うということ

さて、ここからは、話題をがらっと変えて、私がVRChatを始めて感じたことについて語っていこうと思う。

まずは、私が美少女アバターを身に纏うようになって感じたことについて述べよう。

私が現在主に使用しているアバターは、キュビ氏が作成した「舞夜」ちゃんである。

VRChatを始める前までは、自分が美少女のアバターを着ることに、少しばかりの抵抗を抱いており、最初は犬などの動物系のアバターを使用しようと考えていた。しかし、いざVRChatを始めて、目の前で可愛いアバターが動いているのを見ると、「羨ましいなぁ」「自分も可愛いアバターを着たいなぁ」と思うようになり、初日からmio3io氏の薄荷ちゃんのサンプルアバターを使用するようになった。

さて、ここからが本題であるが、自分が美少女アバターを使用するようになって生じた変化は主に3つある。以下、順番に説明していこう。

①もっと可愛くなりたい

まず1つは、自分が可愛いアバターを着ながら、他の人の可愛いアバターを見ていくなかで、「もっと可愛くなりたい」という欲求が生まれたことである。もちろん、舞夜ちゃんはそのままの状態でも可愛いが、似合う他の洋服を着せたり、写真を撮る際には可愛いポーズを取ったりしようとするようになった。

ここでポイントなのは、私にとっては、「舞夜ちゃんをもっと可愛くしたい」よりも「もっと可愛くなりたい」という表現がしっくりくるということである。つまり、キャラクターを可愛くしてそれを眺めるというよりも、自分が可愛くなることそれ自体に喜びを感じているということである。なぜ、自分が可愛くなることに喜びを感じているのかを分析することは、現時点での私の能力では困難である。というのも、それは精神分析社会学といった学問領域に足を踏み入れることになりそうだからだ。ただ、一つ言えることは、当初思いもしなかったほど、私にとって「私」と「美少女アバター」は融合しており、今自分が使用しているまさにそのアバターを「私自身」だと感じているということである。

②性的な視線を向けられる不快さ

①で述べたように、どうやら私は「私自身」と「美少女アバター」を融合させたような感覚を抱いているらしい。これに関連して、自分自身のアバターが性的な目で見られることに嫌悪感を抱くようになった。例えば、「下着を覗かれる」「許可なく身体を触られる」といったことをされると、強い不快感を抱く。これが男性アバターを着ていた場合(下着が見えるようなアバターを着たことはないが)、下着が見られても不快感は抱かないように思われる。また、自分が動物アバターでいる場合、いきなり撫でられてもまったく不快感は感じない。このような「美少女アバター」と「男性アバター」や「動物アバター」との不快感の感じ方の違いは、そこに性的に見られているか否かという差に関係していると思われる。

私は男性としてこれまで社会で生きてきてあからさまに性的な目で見られた経験はないが、自分が性的な目で見られるということが、これほど恐怖と嫌悪を感じるものだとは思わなかった。また、性別に限らず、実際の生活で性的な目で見られている人が感じる恐怖と嫌悪は、VRChat上で経験するものとは比べられないほどだと想像する。

③「美少女アバター」と表現することについて

これまで、自分が「美少女アバター」を身に纏うようになって感じたことについて述べてきた。ここまで読んでくださった方のなかには、「なぜお前は「女性アバター」ではなく「美少女アバター」と書くんだ」と思われた方もいるかもしれない。

私は、昔からテレビや周囲の会話のなかで、相手の容姿を評価するような発言がされることが嫌いだった。そして、自分自身、あまり他者の容姿を気にしていないと思ってきた。

だが、VRChatを始めて、自分がアバターを選ぶことができるようになった際、どんな容姿のアバターでもいいかと思えばそうではなく、「より可愛い」アバターが良いと思ってしまうのである。そういう意味で、自分は意識的に「美少女アバター」を選んで、身に纏っているのである。

自分のなかのこの「美少女アバター」を良いと思う気持ちは、偽らざる本音であり、その気持ちを無視してVRChatを遊ぼうとは今のところは考えていないが、美少女アバターを身に纏いながらも、自分のこの考え方はルッキズムになるのではという懸念が拭えない。

「美少女アバター」を着ることは倫理的に正しいのかどうかというのは、今後も考えていかなければならない問題だと思っている。

他者との接し方について

これまで、自分が美少女アバターを身に纏うなかで感じたことを述べてきたが、以下ではVRChat上で他者と接していくなかで考えたことについて語っていこうと思う。ここでは、テーマを2つに絞って書いていきたい。

①プレイヤーの性別とアバターのタイプごとの接し方の違い

VRChatを遊んでいて気が付いたことだが、私はプレイヤーの性別とアバターのタイプによって接し方を変えているようである。特に、相手のアバターを撫でるか否かという点で差が見られる。

①男性プレイヤーについて

まず、美少女アバターを着ている男性プレイヤーについては、相手との関係性によって変化はするが、基本的に相手の頭や顔を撫でることはできる。本当のことを言えば、まだ顔を撫でたり撫でられたりするのには、照れてしまうのだが.......。

だが、男性アバターを着ている男性プレイヤーを撫でようとは思わない。というのも、男を撫でたいとは思わないからである。

ただし、動物アバターについては、たくさん撫でる。このときは、美少女アバターを撫でるよりも照れが少ない。

②女性プレイヤーについて

美少女アバターを着ている女性プレイヤーについては、基本的に撫でようとは思わない。撫でてほしいと言われれば撫でることはできるが、それも極めて遠慮がちになってしまう。

また、男性アバターを着ている女性プレイヤーも撫でることは基本的にない。

ただし、動物アバターを着ている女性プレイヤーに対しては、撫でることに抵抗はない。

③生物学的には男性だが、女性のように振舞っているプレイヤーについて(ボイチェン、両声類含む)

②の女性プレイヤーと全く同じような接し方になる。

④生物学的には女性だが、男性のように振舞っているプレイヤーについて(ボイチェン、両声類含む)

このタイプはあまり出会ったことがないため分からないが、予想では、女性プレイヤーのような接し方になるような気がする。

⑤無言勢で性別が不明な方について

アバターの性別に応じた接し方になる。例えば、女性アバターに対しては、女性プレイヤーに対するような接し方をするが、男性アバターに対しては、男性プレイヤーのように接する。

小括

以上のように、私はプレイヤーの性別とアバターのタイプに応じて、接し方を変えているようだ。また、これは一つの規範意識にもなっており、他のプレイヤーの振舞いを評価する一つの基準にもなっているようである。例えば、ある男性プレイヤーが、女性プレイヤーを撫でたり、近づいたりするのを見ると、そうすべきでないと思ってしまう。ただ、当然ながら、プレイヤー同士の最適な関係性や距離感は、その個々のプレイヤーによって変わるものであり、私のように、アバターあるいはプレイヤーの性別に縛られる考え方はあまり良くないのだろう。これは、自分のなかで改めていかなければならない部分だとも思っている。ただ、このような自分のなかの規範意識がどこから生じてきたのかを考えることは面白そうだ。

②人と良好な関係を築くことの大変さ

冒頭で、VRChatを始めた目的に、何気ない話をする相手や気の合う友達を探すというものを挙げた。この目的を達成するために、Publicの日本人がいるWorldを巡ったり、イベント(主に居場所集会)に参加したりして、様々な人と出会い、交流した。

だが、交流する相手も自分もAIではなく、一人の生身の人間であり、人間同士が関わる以上、好き勝手振舞うことは許されず、配慮や気配りをする必要がある。例えば、相手が話したいことを話せるように会話を回すことや、話しやすい雰囲気を作ることなどは、常に重要になるだろう。ただ、これは一方が配慮すればいいというわけではなく、双方が互いに配慮し合うことによって、初めて互いが居心地が良いと感じられる空間が出来上がるのだと思う(なお、遠慮なしの良好な関係というのもあるかもしれないが、それは最初から目指すものではなく、自然に出来上がるものだと思っている)

だが、相手があまり自分を配慮してくれない場合、自分がストレスを感じてしまうのは避けられない。

その一方で、自分自身、常に相手に対し配慮できているかというとそうではない。むしろ、疲れているときには、対応が雑になってしまうことが多々ある。

ただ、これに関しては、「人間関係というのはそういうもの」なのだと思う。そして、今はまだ相手に対する配慮を欠いてしまうこともあるが、沢山の人と接していくうちに、徐々に適切に振舞うことができるようになっていくのだと思う。

そして何より、今の時点でも、本当に多くの方と交流することができ、私にとって非常に居心地の良い関係を築いてくれているフレンドさんも何人もいる。優しいフレンドの皆さんがいるおかげで、今VRChatを楽しむことができている。だからこそ、自分も可能な限りフレンドさんに対して優しく、居心地の良い関係であり続けられるよう努力していきたい。

おわりに

まだまだ書きたいネタはあるが、ちょうど5000字くらいになるので、いったんここで区切ろうと思う。新たなトピックや、哲学的な概念を用いた考察なども暇があれば書いてみようと思う。

最後になるが、VRChatを始めたおかげで、本当に楽しく刺激的な毎日が送れるようになった。特に、一緒に仲良くしてくれるフレンドの皆さんには、感謝の念に堪えない。